ARASHI BLAST in Miyagi 雑感




少しご無沙汰してました。

シルバーウィークも終わり、あっという間に10月ですって。

早いような気もするけど、この10ヶ月を振り返るといろんな出来事があって、わりと長かったんだな~という気もします。




BLAST in 宮城、行って参りました。

銀のプチトマトに機材トラブルがありつつも、大きな事故なく全行程を終えられて良かったなと。









誰が何をしたとか言ったとかいうレポは他の方々がたくさん書かれているので、そちらにお任せするとして。





今回の公演でBLASTの基盤が決まる、と本人たちも書いていました。

前回のハワイも回顧しつつ、あくまで私が感じた印象ですが…



BLASTとは、嵐がひとつの場所に赴き、その土地文化と融合したエンターテイメントを繰り広げるもの。



そんな風に感じました。







今回は宮城開催ということで、構成のポイントも宮城一色。

嵐メンバーの中でも宮城で開催することへの想いはひときわだったでしょうし、最終日の松潤の挨拶からもそのことは伝わってきました。






だから。


だからこそ。


誤解を恐れず言葉にするならば。






「被災地」は宮城を含む東北3県だけではなく、災害の大小に関わらず辛い体験をした人は日本中にたくさんいらっしゃる。

「被災」という言葉からそのことにまで想いを馳せることのできる者でありたい。



そんな決意を新たにしたんです。





捻くれていると言われるかもしれません。

「被災地」開催のコンサートに行って、そこ以外への想いを強くするって何?と不快な思いをする方もいらっしゃるかもしれません。

でも、これが私の正直な気持ちです。







折りしも、BLAST宮城開催の直前に大雨による川の氾濫が起こりました。

被災した方々の恐怖や心の痛み、元通りの生活に戻るために必要な資金は、相当なものだと思います。

全体の数字ではなくひとりの人としての視点で想像した時、その被害の程度は変わらないのではないかと思うのです。



(本来比べるようなものでないことは承知の上ですが、語彙力に乏しく適切な表現が浮かびません。ごめんなさい。)



ですが今、その復興状況についてメディアが触れることはあるでしょうか。

そのことに思いを馳せる人は、私を含めてどのくらいいるのでしょうか。



ひとりの人間が受けた痛みは同じくらい深いはずなのに、どうしてこうも違うのか。



「被災地」と言えばすなわち東北、となっている現状にここ最近うっすら抱いていた違和感を、皮肉にもBLAST直前にはっきり意識したのです。








根底には、私自身が体験した阪神淡路大震災の記憶があります。



あの時、私の住んでいた地域は建物倒壊等の大きな被害はありませんでしたが、食器は割れ放題。

床敷きの布団で寝ていた私の頭上に飾ってあったガラスケース入りの市松人形は、地震の揺れで棚から半分ほどずり出していました。

もう少し揺れが長く続いていたら、ガラスケースは落ち、私の頭部を直撃していたでしょう。

そうしたら、もしかしたらここにはいなかったかもしれません。





それから何年間かは、夜中、家の近くを通る高速道路から聞こえてくるゴォーッというエンジン音が怖かった。

地震が起きる直前に聞いた地鳴りの音と似ていたから。


今でも、似た音を聞くと首筋がピリッと逆立つのが分かります。







でも、その1月17日。

当時の首相は普段と変わらない一日を過ごし。
(首相日報より)

災害対策本部は震災当日に立ち上がらなかったと記憶しています。

自衛隊の出動について国会が揉め、すぐに許可が下りず消火活動や救出活動が遅れました。





(その記憶があったから、東日本大震災が起こった時の政府の対応の早さには感動すら覚えました。

「枝野寝ろ」なんてハッシュタグができるくらい不眠不休で対応にあたっていた当時の内閣の方々には、頭が下がります。)







そんな災害があっても、東日本大震災の時みたいに「がんばろう日本!」という日本全体を巻き込むムードにはならなかった。

メディアの中心地である東京に被害がなかったことが大きいんだろうな、と思っています。





タレントさんによる支援活動も今ほど活発ではなく。

ジャニーズ事務所の取り組みも、期限付きのJ-Friendsだけだったように記憶しています。

私の知らない活動があったらすみません。





東日本大震災からBLAST宮城までが、およそ4年半。

阪神淡路大震災から嵐結成ハワイ会見までが、およそ4年半。



嵐がハワイで会見をした頃に、神戸や淡路のことをここまで気に掛けていたムードってあっただろうか。

仮設住宅で生活していた人はまだいたのに。





阪神淡路大震災で住宅が全壊して2重ローンになり補助を受けていた知り合いのご家庭は、東日本大震災の後に補助の打ち切りにあっていました。

"被災地"復興予算のために。



「(東日本大)震災を風化させない」と言うならば(阪神淡路大)震災も風化させてはいけないはずだけど、そこに意識が及ぶ人はどのくらいいるんだろう。

"被災地"復興支援のために、"被災地"への支援が打ち切られた現実。



もちろん、何事も全体を見通したバランスは大切。

限りある財源の中、緊急性の高いところに重点を置くのは当然だから、私はこの事について不満を述べたいわけでは決してないし、むしろ必要な措置だったのだろうと理解しています。

知り合いもそうです。





この話から不満に繋げたいわけではなく。

なんでしょうね…うまく言えないんですが。


寂しさに似たものを感じたのかな。

誰が悪いとかじゃないんです。





『被災地』を忘れない
『震災』を風化させない


その言葉の影で忘れ去られている『被災地』があることを知っているから。



それは阪神淡路だけじゃない。

地震、噴火、土石流、暴風雪、氾濫、火事…

災害列島と言われる日本は、あちこちで自然災害が起き、そこに住んでいる人たちが当然くると思っていた"明日"が突然その意味を変える、そんな体験をしている。


犯罪被害に遭った人にも同じことが言えるかもしれない。






「東北の皆さんとともに僕たちはいます」

涙を浮かべてそんな風に言ってもらえるのは、幸せだなと素直に思いました。





BLASTinMiyagiは宮城県の招致で開催されたものだから、宮城を大切にするのは当然のこと。

だから、今回はそれでいい。

それがいい。



ただ、そこから何を感じ取るかは自由なはずだから。





自分が感じた寂しさに似た感情と

想いを馳せる人がいると伝わることの心強さと

その2つを同時に感じたことで、災害の大小に関わらず「被災」した人たちのことに想いを馳せることのできる、馳せようとする想いをもつ者でありたいという気持ちが強くなりました。





楽しい思い出もたくさんある中。

これが、私がARASHI BLAST in Miyagiで得た最も大きなものでした。







最後に。

Twitterでも書きましたが、BLAST宮城は地元の皆さんの協力あってこそ成功したと実感しています。



シャトルバスと自家用車の道は完全に分断され、事前に流れていたような大渋滞も起こらずにスムーズな印象でした。

あちこちにいるスタッフやボランティアの方々は精力的に動き回っておられました。

大半の方が笑顔を浮かべ、はきはきとした声で、明るく案内・誘導してくださいました。



イベントの印象って、半分はスタッフさんによって決まるといっても過言じゃないですからね。

宮城滞在中に心地よく過ごせたのは、スタッフやボランティアさんの力によるところも大きいと思います。



素敵なシルバーウィークをありがとうございました。