※注意※

当日のMCで話した歴史話。

まとめてみました。

長文な上に、これまでのアレコレを振り返る記事なので、山あり谷ありです。

そしてあくまで私の視点で、体験した事実を振り返るものです。

これまで言えなかったことにも触れています。












大阪で今も定期開催されている『歌謡曲ナイト』というJ-Popイベント。

2010年に歌謡曲ナイトが企画した嵐特集。

そこに参加したゆいさんが、飛び入りで踊っていた私を見て、それをきっかけに知り合いました。




出来心で真似した翔さんの動きが予想以上に友だちにウケたこと。

歌謡曲ナイトで大量に見かけた翔さんのウチワで、翔担のお客さんが多いと思い込んだこと。

大きくはその2つの理由で、当時からサクラップは今みたいにやってました。



ちなみに、出来心で真似したのはBelieveのMV大サビ。

一列で歌っている時センターにいた翔さんが両手を大きく広げて歌っている仕草を、「翔さんって歌う時に場所とるよなぁ。ほれこんな感じ。」と真似したわけです。 

それがウケたことでさらに調子に乗ってMVのラップを丸ごとコピーしたら、さらにウケて。
 





閑話休題。





嵐特集から派生した「ARASHI NIGHT」というイベントで、ゆいさんが作った初衣装(T.A.B.O.O)を着て踊り…

そこに遊びに来ていたお二方に声をかけて頂いたことが縁で、ARASHI NIGHT in Nagoyaというイベントに招かれ、第1回と第2回に出演。


 
第1回はこんな感じ。

33645671_973781871_182large

33645671_973781864_105large

33645671_973782116_120large


まだまだ粗削り。
 



このイベントに第2回からスタッフとして参加したのが、りきとまーてぃんでした。


第2回 ARASHI NIGHT in Nagoya より。

BlogPaint

BlogPaint

BlogPaint

GANTZスーツを初めて着たのもこの時。

いっぱい頑張ったまーてぃんをこの姿のまま全力でハグしました



33645671_1218448428_46large

33645671_1218517366_168large

この時はニノBDってことで、スタッフサイドからの要望で大宮SKもやったなぁ。


ユージは当時スタッフだったRさん。

彼女から「大宮SKって何ですか?」と尋ねられるところから始まり。
(なかなか答えに窮する質問…笑)

音編集も振り付けもやって、ダンス映像を撮って送り、USJにご家族と遊びにきたRさんと駐車場で振り合わせをして。



この時ゆいさんが作ったタカの衣装はイベント側に渡してきたんだけども。

今はどこにあるのかな。





「楽しみたい」と
「楽しませたい」

「好きでやっていること」と
「金銭のやりとりが発生する企画を運営すること」

そのバランス感覚は人によってさまざまで。



紆余曲折を経て第3回へは出演しないことになり、道を広げてもらったことへ感謝しつつ、思い描く空間を自分たちで作ろうと心に決め。

当時、ARASHI NIGHT in Nagoyaのコミュニティ更新を担っていたりきと、映像制作を担っていたまーてぃんに声をかけたのです。



ただ、重要な役割を担っていた2人だったし、お世話になったイベントにご迷惑をかけるつもりはなく、当初は負担のないペースで兼任するという話だったんだけども。

ARASHI NIGHT in Nagoyaのスタッフほぼ全員から送られてきた「兼任するならやめてほしい」の言葉をきっかけに2人は脱退。

こうしてAAAは4人でスタートすることになりました。

それが2011年8月のこと。





まーてぃんに関しては私が彼女の作品に強烈にひと目惚れしたんです。

彼女がARASHI NIGHT in Nagoyaのために初めて制作した『時計じかけのアンブレラ』

スタッフサイドの依頼で静止画を使ったスライドショーとして完成したその作品の、後奏最後のワンカット。

それに射抜かれた。


画像そのものに、じゃない。

いろんな画像が現れては消えていく映像の最後、この画像を、このタイミングで差し込んでくる、そのセンスにどうしようもなく心掴まれた。


絶対にこの人とやりたい。

この人とじゃなきゃ嫌だ。

この人の作る映像作品をたくさんの人に見てもらいたい。


今もその気持ちは変わってません。

AAAを一緒にやってきて、毎回彼女の作品に心掴まれてるから、もう私のハートはまーてぃんの手形だらけだよぅ(嬉しい)



ちなみにその時の映像はスタッフサイドからダメ出しの嵐に遭い、あえなくお蔵入りになったため現存しておりません。

無念。
 






当日も少し話しましたが…

私が嵐のダンス(振りコピ)を始めた頃、実際のマイクを手に持ったり、ましてやヘッドマイクまで使っている人なんて見たことなかった。

サクラップの仕草はもちろん、歌っているメンバーの仕草やクセまでもコピーしようとしている人なんてどこにもいなかった。


でも、それを極めれば面白いはず。



第1回ARASHI NIGHT in Nagoyaの前後、ゆいさんとたくさん話す中で、どんどんそういうものを取り入れていこうという事になり。

彼女の知り合いのゲイバーでドラァグクイーンの方々に話を聞いたり、パフォーマンスのビデオを見せて頂いたりして、勉強もしました。



それでも、マイクを使って踊っているのを見た人に、「それやりすぎじゃない?」と苦笑されるんじゃないか。

サクラップやメンバーの歌い方を真似た時に、「それでなりきってるつもり? 似てないんだけど」という批判を浴びないか。


本当に怖かったし、第1回ARASHI NIGHT in Nagoyaで誰も知り合いがいない場所で、初めてマイクを使って踊る時は人生で最高レベルなくらい緊張した。

肋骨も折ってたしね~この時…^_^;





今になってみて思うんです。

今、私の嵐ダンスを受け入れて楽しんでくれる人がこんなにたくさん居てくれるのは、受け入れてもらえるか分からない怖さと真剣に向き合ってきたからこそなんじゃないか、と。

怖いからいろんな人の意見を聴いて考えるし、勘違いせずにいられる。

そう思うと、あの頃に怖さと闘っていたことも、決して無駄じゃなかった。



第3回ARASHI NIGHT in Nagoyaはお客さんとして参加したんですが、その時に出演していた20数名のダンサーズたちが全員当たり前のようにハンドマイクやヘッドマイクをつけていたんですね。

その方たちは第1回・2回のお客さんだった方たちばかり。

そしてARASHI NIGHT in Nagoyaが第4回で幕を閉じた後にダンサーズから結成された振りコピグループの方々は、仕草を似せることをモットーにされていた。



自分がやってきたことを取り入れている人たちがいる。

そのことは純粋に嬉しかったし、自分の自信にもなっていった気がします。







AAAを始めるにあたって、どんな内容にするのかたくさん話し合ったし、頭を悩ませました。

コンセプトは? 運営方法は?

私自身、イベントや舞台の出演経験だけは人並み以上にあったけれども、運営となるとほとんど経験ゼロ。

全てが手さぐりでした。



 「イベント」という言葉そのものに営利のイメージもあったけれども、営利目的はないし、できないし、したくない。

その意味を込めた言葉を、それでいてAAAのめざす形をイメージした言葉を、考えて探して考えて…




そこで生まれたのが、「大規模嵐会」という言葉です。




あくまでオフ会。

それと同じ運営形態にこだわり、ドタキャンのリスクがあっても参加費は当日来た人からのみ。

お借りした会場にはこのコンセプトを最初にはっきりお伝えして、プライベートな貸切パーティーとして扱ってもらい、HPへの掲載や店頭での告知は一切NGに。

チラシや告知で集客するのが当然のライブハウス側は「え、それでいいの?」という反応が大半でしたが(笑)





「営利目的はありません」という言葉だけなら簡単に書けてしまう。

大切なのは、その言葉を本当に実体化させているかどうか。

それはイベント開催のやり方を見れば、分かる人にはすぐ分かってしまうこと。





ちっひぃのライブじゃない。

あくまでも、嵐の良さを一緒に楽しむ会。


いわゆる“嵐会”でハンドメイドの得意な主催者さんがお土産を配る、ダンスも衣装も映像もそれと同じイメージ。

ダンスを踊れる人が振りコピして
衣装づくりが好きな人が衣装を再現して
映像を作れる人が作品をつくって

それらを主軸にした嵐会。


そういうスタンスでした。



ウマいやり方はいくらでもあるのかもしれない。

でも私が、私たちが、「大規模嵐会」に込めた想いを裏切らないために、この運営形態を守り通してきました。





映像とのコラボには少しずつ取り組んでいたけれど、第1回AAAを開催する時に、AAAならでは!なパフォーマンスが欲しくて、何かないか…といろいろ考えて。

思いついたのが「エア挨拶」。


5人の最初の挨拶を完全に口パクで合わせたら、臨場感はかなり高まるんじゃないか。

でも中途半端にやったら場が白ける、まさに諸刃の剣。

Attack it!の音声を毎日毎日繰り返し聴いて、何度も映像を見ながら動きを覚えて。



本番当日に、フロアから波のようなレスポンスが返ってきた時の手応えは今でも覚えてます。

33645671_1628523145_156large






後に、「大規模嵐会」というコンセプトのイベントが、別のところでも開催されるようになりました。

主催されている方の中には、第1回のAAAに参加しておられた方も。


映像とのコラボや口パクなど、パフォーマンスとして見える部分はとっても似ているんだけれども、運営形態は全く違う。

考えて考えて考え抜いた言葉が、その意味が、全く違う現実とともに広がっていってしまう。

とてつもない歯がゆさ、哀しさ、無力感だったな…。



いい、人生経験でした。







この際なので、ずっと言いたくて言えなかったこと。

もう時効かな…と思うので、私の中で整理する意味も含めてたった1度だけ、書きます。

当時ARASHI NIGHT in Nagoyaに参加された方の中で、ここをご覧になっている方はごく少数だとは思うけれども…。



第1回・第2回と出演してきた私が第3回には出演しないこと、参加してくださる方へのけじめとして事前にきちんと告知してほしいとお願いしたのですが、スタッフの方から承諾して頂けませんでした。

理由は分かりません。
オトナの思惑かもしれませんし、そうではないかもしれません。

「それはこちらで決めます。」とだけ返答がありました。

そして第3回イベント説明文の中に紛れるようにして、『今回ゲスト出演によるパフォーマンスはありません』とだけ記載されました。



けれども、第1回・第2回と出演していたChihhi:Eがゲストかそうでないか、参加者の皆さまはご存知ないこと。

結果として、「ちっひぃさんのダンス楽しみにしています!」というコメントと共にエントリーされた方が多数いらっしゃいました。

その方々へのフォローは、ありませんでした。 



イベント史上最高募集人数だった200名は、たった一晩で定員オーバーに。

それでもエントリーは止まらず、キャンセル待ちの方も2ケタに。 

喜び、感謝のコメントを次々アップするスタッフの方々と、出演予定ダンサーの方々。
 



それを見ていて、イベントが盛況なことは喜ばしいことなのに、とても苦しかった。

できることなら、きちんとお知らせしたかった。

けれど、「第3回ARASHI NIGHT in NagoyaにChihhi:Eは出演しません」という告知を私がするのはイベントへの妨害行為になり得ることだと判断し、沈黙を守りました。



第1回・ 第2回と楽しんでくださった方々や、初参加の第3回で私のダンスが見られると期待をよせてくださっている方々を裏切っている気がして。

ナヨナヨと悩むことの嫌いな私が泣きじゃくって過呼吸おこして、ゆいさんたちに心配かけたり。 



あの時きちんとお伝えできなくて、本当にごめんなさい。

楽しみにしてくれていた気持ちに応えられなくて、ごめんなさい。

自己満足だとしても、ずっとそれが言いたかった。

 
 

第3回にお客さんとして参加したのは、自分が関わったイベントの新しい姿を見届けたいという気持ちと、誤解したまま参加されている方と触れ合えるものなら直接触れ合いたいという気持ちからでした。




その時に知り合ったのが、後にAAAファンコミュニティ『Aらば★』を発足し、衣装制作でも力を貸してくれることになった、おやびんです。 

彼女と、
同じく第2回 ARASHI NIGHT in Nagoyaに参加していて個々に繋がりのあったふぃーるちゃん、しばち。

この3人は全8回制覇し、写真や動画でたくさんの思い出を形に残してくれました。

今回のブログに載せた写真は、ほとんどが彼女たちの手によるものです。


BlogPaint
左から、おやびん、ふぃーる。

BlogPaint
しばち。



あなたたちのおかげで、いつも思い出を振り返ることができた。

どうしようもない哀しさや無力感に苛まれた時は、一緒になって怒ってくれた。

いつでも笑顔で支えてくれて信じてくれたから、前に進めた。


大好きだよ。

ありがとう




 


AAAを始めてからもいろんなことがありました。

笑顔になれることも、反対のことも。

でも、山あり谷あり、という言葉があるように、山と谷は一緒にあるもの。

谷があるからこそ、山を山だと感じられると思ってます。


ずっと山が続くといつの間にか平地のように感じられて、山の頂上にいることが当たり前になってしまう。

そこに立てていることの感謝を忘れてしまう。


そうならないために谷があるのかな、とも思います。



だから無駄なことなんて何ひとつない。

すべての記憶が “良い想い出” です。





このまんまなら行ける気がする。

どこまでもずっと。。



AAAは一旦活動休止だけど、まだこの先に向かって歩いていくから。

元気に動ける間は、踊り続けていたいから。


この先に何があるか、楽しみだっ